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Lifelong Thinker's Log

ヘッジファンド勤務のアナリストが投資、経済、経営を中心に日々の学びや思索を記録していきます。(本ブログの内容は個人的見解に基づくものであり、所属組織及び企業の意見を代弁するものではありません。なお、個別の投資に役立つような情報は一切含まれておりませんので、その点は期待せぬようお願いいたします。)

ヘッジファンドの歴史から投資を考える — 書籍「ヘッジファンド」

人が歴史から学べることは多い。今日はヘッジファンドの歴史から投資を考えてみる。Sebastian Mallaby著「ヘッジファンド」は、文字通りヘッジファンドの歴史を綴った良書だ。原著名「More Money Than God」は不遜なタイトルのようだが、本当の神よりも金持ちなどと言いたいわけではなく、単に20世紀初頭までウォールストリートを支配し、ジュピター(ローマ神話の神)の愛称で呼ばれたジョン・ピアポント・モルガンよりも、最近のヘッジファンド・マネジャーが稼いでいることを指しているに過ぎない。

さて、繰り返しになるが、本書は良書である。業界の歴史を作ってきた著名ヘッジファンドの歴史を綴るとともに、各ファンドマネジャー達の成功と失敗の要因、彼らが経済の中で果たしてきた(良きにせよ悪しきにせよ)役割についての分析が加えられている。取り上げられたるファンドの投資対象やスタイルも様々だ。各ファンドの物語自体が大変面白いので、関心のある方には是非読んで頂きたいのだが、ここでは本書を読んでいて、私自身が特に面白いと思った点、本書に触発されて考えたことを記録しておく。

 

ヘッジファンドという発明と優位性の源泉

ヘッジファンド」という仕組みは、1940年台後半にA・W・ジョーンズという名の社会学者が生み出した。彼の創始した世界初のヘッジファンドは、レバレッジ、ショート(空売り)という、現在でも多くのヘッジファンドが用いる武器を利用していたが、ファンドのパフォーマンスは、ジョーンズ自身の銘柄選択能力ではなく、彼の雇った外部のストックピッカー(=ポートフォリオマネジャー)に依存していたようである。ジョーンズは、各マネジャーのパフォーマンスと報酬を連動させることにより、最大限のパフォーマンスを引き出す仕組みを構築した。当時、このような機会は他に存在しなかったため、世界初のヘッジファンドは、多数の有能なマネジャーを確保することに成功した。しかし、レバレッジ、ショート、インセンティブといった道具に、ファンドのエッジ(優位性)が存在する訳ではない。ファンドのエッジを生み出すのは、いつ、何に賭けるかを判断するファンドの意思決定能力である。その意味で、ジョーンズ自身はエッジを持っていなかった。やがてマネジャー達が独立し、ライバルファンドを設立していくにつれて、そのファンドは優位性を失っていった。優位性は仕組みではなく人に属する。

 

効率性との戦い

ヘッジファンドの定義は曖昧であり、本書に登場するファンドも多様である。全てのファンドがレバレッジを利用する訳でもなければ、ヘッジをする訳でもない。トレンドフォローもいればコントラリアンもいる。ファンダメンタル重視派もテクニカル重視派もいる。投資戦略も、株式ロング・ショート、グローバル・マクロ、債券アービトラージ、イベントドリブン、ディストレスト、マルチストラテジーと多様である。ではヘッジファンドヘッジファンドたらしめている共通点とは何なのだろうか。一つの共通点は市場の効率性との戦いという点に見いだせる。ヘッジファンドは多様な方法で、市場の非効率性を見つけ出しそこにベットすることで成功し、あるいは市場の非効率性に翻弄され失敗してきたように見える。

効率的市場仮説というのは現代のファイナンス理論の重要概念だ。いくつかバリエーションがあるものの基本的な主張は「市場は効率的に情報を価格に反映するため、将来の価格を予想することはできず、従って、市場に勝ち続けることはできない」というものだ。しかし、ヘッジファンド・マネジャー達は効率的市場仮説では説明できないほどの勝率を上げてきた。流動性の制限や、経済的には非合理なインセンティブで動くプレーヤー(中央銀行あるいは大災害の保険支払に備えて現金化が必要な保険会社等)の存在、さらには市場参加者の心理が、時に非合理な価格付けを生み出し、ヘッジファンドに利益機会を提供する。もちろん非合理性が自分たちに不利に働き、価格が「あるべき価格」に修練しない結果、ヘッジファンドが苦境に陥ることもある。

ヘッジファンドの歴史とは、ある意味効率的市場仮説との戦いと言っていいだろう。学者達の「市場に勝てない」との主張に対して、ヘッジファンド・マネジャー達は実際に市場に勝つことで、その理論の限界を証明してきた。その一つの帰結が学者達のヘッジファンド業界への流入(例えばLTCM)であり、新たな理論「行動ファイナンス」の創生であろう。

 

人間心理の重要性

市場を動かすのは人間であり、人間の意思決定は必ずしも合理的でない。人間は感情に支配されている。このため、市場参加者の心理を読み取る能力はエッジの源泉になる。市場が本来あるべき姿(正しい価格)を考える上で、ファンダメンタルズは当然重要だが、市場は時に非合理的であり、ファンダメンタルからさらに価格が乖離することもあり得る。このような時、ファンダメンタルのみにもとづいて投資判断をすると、大きな損失を産みかねない。「市場が間違っている」という恨み節には何の価値もない。私自身はファンダメンタルズの分析を生業としており、テクニカル分析(チャート分析)は専門外だが、テクニカル分析にも一定の価値を認めるべきであろう。本書に登場する多くのファンドマネジャーも両分析を組み合わせることで、実績を上げている。

前述の「行動ファイナンス」も人間心理を取り扱う学問である。行動ファイナンスは、伝統的なファイナンス理論と異なり、人間の合理性を前提としない。人間が感情に支配される非合理な生き物であることを前提として、市場参加者の行動を解き明かす。これは市場参加者の心理を読み取るだけでなく、自分自身が意思決定を行う際にどのようなバイアスがかかっているかを理解するのにも役に立つ。

 

美しいディール

本書に登場するファンドマネジャー達の、一世一代のディーリングはとても美しい。ヘッジファンドとは言え、全ての取引で利益を出せる訳ではないし、多くの取引のリターンはそれほど高くはない(といっても市場平均よりも高かったりするが)。だが、時に市場は莫大な収益機会を提供する。ソロスによるポンド売りやジョン・ポールソンによるモーゲージ債券売りが良い例だ。損失の期待値は限りなく低く、利益が出る場合の期待値は限りなく高い。このような機会を発見した時に、そこに全ての資金を注ぎ込めるかどうかは、入手した情報と自分の分析への自信次第だ。いつかそんな投資機会を発見んできるよう、そして、そこに全力で突っ込めるだけの自信を持てるよう、自分の能力を磨いて行きたいものである。

 

善悪の感覚

本書(下巻)12章でファラロンという名のヘッジファンドが紹介されている。創業者トム・ステイヤーの価値観には習うべきところがある。彼は善悪の感覚をとても重視する。若き日のステイヤーは、投資銀行のアドバイザーの目的は手数料を得ることであり、正しいことではなく正しく聞こえることが重要であるということに気付き嫌な思いをする。そして、自分が正しかった場合にのみ報酬をもらえる投資という仕事に惹かれていく。彼のファンドもそうした価値感を反映しており、報酬は成功報酬(投資家の資産を増やしたときのみ発生する報酬)のみである。ファラロンが世界有数のファンドとなってからも、オフィスやライフスタイルは質素なまま。さらには、投資を通じて、アルゼンチンやインドネシアの企業を苦境から救い出し、「よいことをしてビジネスができること」を実証した。

このような業界に勤めているからこそ、善悪の感覚はとても重要だと思う。自分の仕事がどのように社会に良い影響をもたらすのかを常に考えて仕事をしたい。良い仕事をすれば、そこに価値が生まれる。報酬はあくまでその結果だ。ヘッジファンドという仕事を通じて、どのように社会に貢献し得るのか、常に考え続けるべき命題である。一義的には預かった資産を増やすこと―富裕層をさらに富裕層にするものではない。現代のヘッジファンドの多くのお金の出処は、年金資産や大学基金である。つまり、他の資産運用業同様に、一般庶民の老後の資金を増やす責任や、大学の研究や教育の資金を生み出す責任を負っている。—であるが、他にもファンドの行動は様々な影響を持ち得るはずだ(例えば市場の資源配分機能の最適化。この点はいずれまた書いてみたい)。良い仕事をすること、お金自体を目的とすることとないこと、を常に肝に命じておきたい。